注意
- FCを継続していなくて We are ARASHI に参戦できない女の嘆きごとです
- 心の整理がつかなくて悲しくて、行き場所がなくて、しんどいのでここで吐き出そうと思います
- 不快な方もいるかと思うので、行ける方は見ない方がいいかもしれません。
- 精神疾患、それに付随する暗い、悪いことを連想させることが書いてあるため、不安定な方は閲覧しないことを強く勧めます。
この記事の目的は、書くことで嵐がどう思うかもわからないことを考えられていない私は結局嵐ファン失格かもしれないけど、ありがとうを言えない分、ここで書かせてください。
みんなもそうかもしれないけど、私も嵐に人生を変えてもらいました。
はじめてのライブは、君と僕の見ている風景でした。
一個前の5×10は外れて、トイレの中で抽選の電話つながっていけないとわかって泣いていたのを今でも覚えています。
それはさておき、そのライブで人生が変わりました。
どう変わったか?目指す職業に大きな影響を与えました。
人生の中でライブ自体は二回目でした。
一回目はほぼ記憶がない、浜崎あゆみのコンサート。親戚に連れられていって何歳だったかも覚えてないです。
そして嵐のライブ、高校1年生でした。
高校のクラスの友達と行きました。
アリーナ席でした。トロッコが前に来る席でした。
めっちゃ運いいなと。
担当松潤にハピネスの手をされて嬉しくてたまらなかったのを覚えています。
それと同時に、私はライブの空間にとても感動しました。
ライブの終盤で「空高く」が流れ、銀テープが落ちる中、ほんとに世界がスローモーションになりました。
そのとき思いました「この空間ってなんだろう、この音はなんだろう。みんなが音を聞いて幸せになっている。すごいな、すごいな。」
そんな気持ちを頭のすみにおきながら、最後までライブを楽しみ、そこから音について考えるようになりました。
ライブの音ってどうなってるんだろう…。
気がついらた音響の仕事があることを知りました。
高校生だった私は、専門学校に行こうと思い始めました。
でも、現実的に考えて、高校で吹奏楽半年で辞めたし、根性もないし、音響が気になるけど、音響をしたことがないので専門学校に行って失敗しないかとても不安でした。
だから、普通に大学に行きました。音響のほかに興味があった英語が関係するようなところに行きました。文系でした。
そこで、私はイベントの音響ができるサークルを見つけ、迷わず入りました。
結果、楽しくて楽しくて仕方がない。狂ったようにサークルに行き、電源確保にはじまり、大学にあるスピーカーをフル活用するために、常に最善の配線を考え、音楽系のイベントのときはどうしたらライブのような音圧を与えられるかを考え、終わった日にはツイッターでエゴサをして、「ライブみたいで楽しかった」と言ってる人の投稿をみて「よかった、うれしい」と思っていました。
仕事にしたいな…と思いつつ、ずっと不安がありました。
私はなにより物事が続かなくて、すぐに飽きてしまう。
3年周期にそれがくるタイプだったので、自分を信用できませんでした。
でも、そんなこんなで大学3年生になり、やっぱり音響の仕事がいいと思い、大学3年の終わりからイベント会社(音響)にアルバイトに行きはじめました。
サークルに明け暮れたせいで、単位を落としまくり、学費も高いため、留年したらお金は出さないと言われていたので、大学4年は単位取得、アルバイト3つ、サークルで忙しい日々を過ごしました。元気だったなと思います。
そして、音響のバイトですが、どの現場もすごーーーく楽しかったです。
街のイベントから大きなイベントまで、講演会、ミニコンサート…。
色々な世界を経験して、やっぱり音響の仕事につきたいなと思って、東京まで会社説明会行ったりしました。
そしてとりあえず、いきなり東京は厳しいなと感じ、修行と思ってアルバイト先に就職しました。
結果としては、就職して1年半で仕事を辞めました。
理由は、従来からわずらっていた双極性障害の影響で音響の仕事ががんばれていただけで、自分的には無理をしていたことがわかったからでした。
私は中学生の頃から、実は死にたくてたまりませんでした。
家庭ではうまくいかないし、辛いことを話せる人がいない、ブスだし、気持ち悪いし、鏡をみてはブスすぎて泣く。
自傷行為もしていた。死ぬことばっかり考えていました。でもグレることもできない人でした。
そんな感じで生きていて、大学卒業まで精神面では実はかなり荒れ狂っていました。
大学の時が一番ひどくて、サークルに燃えていると同時に日々死にたいとか、人間関係で困難を感じていたり、気分のムラにとっても悩んでいました。
大学3年生がピークで、私の様子を見かねた人が、精神科をすすめてくれました。
そこでやっとはじめて精神科に行くことができました。
その段階で、医者ははっきりとは言いませんでしたが、気分障害、双極性障害あたりかもね…とのことでした。
私はそれに加えて、自分自身では境界性パーソナリティ障害もあったと思っています。
ずっとずっと死にたかったけど、音響の仕事がしたいからという一心で精神科に通いました。
行った病院が幸い、認知行動療法をやってくれるところで、毎回30分ほど時間をとっていろいろやってくれていました。
それに加え、彼氏ができたことで、大学4年生の6月ごろ、安定したような気がして通院、服薬を勝手に辞めてしまいました。
双極性障害ではよくあることですが、そんなこと当時の私は知りませんでした。
大学4年、通院をやめてしばらくはあまり問題なく過ごし、就職。
ただ、やはり就職してから、じんわり気分が落ち込むこと、死にたいなと思うことが増えていきました。
仕事自体が不規則で、ほんとに日によって仕事が終わる時間は違うし、現場によっては深夜まで、激務なときは休みが月2日しかない日もありました。
私が原因で職場の方ともうまくいかず、馴染めないと感じていました。(ほんとに裏方の仕事はコミュニケーションできないと無理です。)
直属の上司にはいつも怒られていました。
でも、期待もしてくれている上司もいることは知っていました。
結果的に、仕事をやめる決定打となったのは、結婚式の音響の仕事が終わって、緊張のあまりトイレで吐いたことでした。
この日に「あぁ、もう私はだめだ」となり、死にたい気持ちもあり、精神科の通院を再開していたので、辞めることを決意しました。
いろんな上司が退職後の道を心配してくれました。本当に心の支えでした。
ですが、自分の能力のなさ、無力さ、人間関係をうまくやっていくことができないやるせなさを感じながら退職しました。
1年ほどは引きずりました。
もっと頑張れなかったのか?とか。
でも、がんばれなかった。
ほんとに、ずーーーっと限界だった。
音響の仕事が頑張れていたのは、双極性障害の躁状態だったからということもわかりました。
長い間頑張れたと思います。
嵐を好きになって、双極性障害の影響もあったけど、音響自体はすごく楽しくて、私もいつかライブに携われたらいいな…という夢を抱き走り抜けたことは大切な大切な思い出になりました。
もうこの業界には二度と戻らないので、言ってもいいよねとおもって書いてます。
そして、今回のライブの話になりますが。
行きたかったんです。
だって、私が夢を抱いた場所だったから。
最後に見届けることができない、ありがとうと言えない。
自分は嵐ファンじゃなかったという証明をされたような気がして苦しくて。
でも、振り返ると、私嵐を好きとか、ファンだと名乗っていいのかわからないレベルの人間だったことがわかったんです。
なぜそう思うか?
- グッズの収集癖だけすごい
- パンフレットはぱらぱらとみて、読み込まない
- 松潤の演出すごいと思いながら、その思いを深く知ろうとしなかったり、表面的な情報や、インターネットで誰かが言っている情報から松潤を知るだけ
- 曲も音をメインにきいていて、歌詞は優先順位低め
- 音が好きな割に解説できるほどではない
- 自分が嵐のライブに行けることを嬉しい、運がいいと思うと同時に、マウントしたい心を持っていた。実際友達にマウントしていた時期がありました
- 実は会報もほぼほぼ読んでいなかった
- 誰より嵐のことを知っていることが誇りだった(学生時代は特に)
などなど、嵐ファンを名乗るにはあまりに薄っぺらかった。
誰より嵐のことを知っていることが誇り、と書いていますが、学生時代の狭いコミュニティの話で、大人になってネットで色々な人の応援を見ると、私の興味なんて100%のうちの10%ぐらいだったのかもしれないと気付かされました。
そして、ファンクラブ。何回も辞めて、何回も入り直しています。
合計4回かな。
金銭的に厳しくて精神科も行けないぐらいの時期があってそのとき。
仕事しはじめて物理的にいけなくてそのとき。
海外に長期滞在することになったとき。
これらで継続をやめました。
私はにわかだった。
にわかなのに、ライブの仕事したいなんて思っていた。
それがわかったときは衝撃でした。
私って、何もみてなかったんだなって。
音響の仕事が楽しかったことは事実だけど、表面的なことばかり好きで、中身の中身は見れていなかったんだなと。
一応弁明すると、ライブは必ず毎回応募していたし、テレビや音楽番組は中学、高校時代必ず見ていました。雑誌だって買い漁って読んでいた。(なのになぜ会報は読まない…?)5×20も現地いったし、休止の配信ライブは海外にいましたがちゃんと見てました。国立も行きたくて何回も応募した。
学生時代は友達と嵐について手紙交換したり、毎日毎日あれがかっこよかったね、これがよかったねって話をしていました。
ちなみに嵐を好きになったきっかけは、2007年のジャニーズカウントダウンでTimeの衣装をきて黒縁メガネをかけていた松潤への一目惚れでした。
ほんと私はただの顔ファンだったなと。ごめんなさい。
まぁでそんなこんな時がたち、嵐が休止しますと。
あぁ、終わるんだなと思いました。
私は現実的だったので、もう再開しないと思いました。
このままフェードアウトかなと。
でも違いました。
2025年嵐は戻ってきました。
でも、私はそのときFCを継続していなかった。
ライブが行けないことがわかった。
あ………..
もうライブ行けないのか。
私が嵐のこと好きじゃなかったって証明されてしまったのか。
そんな気がしました。
好きは好きだった。
でも、本気で好きじゃなかったんだなと。
辛かった。
自分でFC抜けたくせに何を?って感じですが。辛かった。
そこから情報をさらに見たくなくなって、FCの最終入会期限まで悩みました。
また悩み方がひどくて、「嵐のライブに行けないなら入る意味あるのだろうか?」でした。
よく言えば、ライブが大好きだった、ですが、芯の通ったファンとは言えなかった。
でもやっぱり、嵐が好きで、みんなが楽しそうにしているのを忘れられなくて、ギリギリFCに入りました。
まちまちですが、見れるときはFCをみて、生放送もみて…。
そこでさらに思い知ります。
私嵐のこと、誰一人もまともに見ていなかったんだなと。
最近の松潤の話をきいていると、私松潤のことなーんもしらないんだなって。
日に日に突きつけられていました。みんなよく知ってるなと。
そんなことを思いつつ、でもなるべく動画や音声をきき、じわじわと札幌ライブが近づいてきました。
そこでまた一つ、情けないことが。
Five、予約していませんでした。
はい、お知らせをまともに見ていないので予約できませんでした。
気づいた時には遅かった。
お前ほんとにファンか?
もう本当に、ファンとは思えない行動続きで。
実際、私には色々な感情というか、深層心理があると思います。
そんなに好きじゃないとか、今までのものに執着しているとか、自分が嵐を好きな証明をしたいとか。
それは自分が一番わかっていますが、Fiveの予約すら知らなかったとは。
SNSも嵐関連はほぼ見ていない、ファンのアカウントすらほぼ見ていなかったのでそんなことも分からず、気づかず。
ほんとにアホというか、何も考えていないというか。
言い訳だけすると、いまだに私は死にたい気持ちと戦っていたり、今はフリーランスしていたりでそれどころじゃなかったとか、言い訳はあるのですが、はっきり言っていいわけでした。
わかっています。
好きなら情報を追います。それをやっていない私は好きではないんです。本気で。
でも好きだと思っています。
とにかく、Fiveの予約もできていないことに気がつき、配信のFiveをきいているうちに、札幌公演がはじまりました。
怖くてXみれませんでした。
ChatGPTにも見るなと言われました。辛くなるから。
見ないようにしてたけど、どんなセトリなんだろう、嵐はどんなかんじなんだろう、演出ってどんなかなと思ったら気になって、1日目が終わった次の日の朝Xを見ました。
いーーーーっぱいレポが流れている。
セトリも見た。
アンコールがないのも見た。
MCレポや、松潤がどうだとか、泣きそうだったとか、Monsterの松潤がとか、大野くんの歌とダンスがよかったとか…
読むのが苦しい。
私は彼らの最後をみることができないし、あの空間を最後に味わうことができないから。
嵐の曲も、3月に入ってから毎日きいているけど、そのたびに涙が出る。
次から次へと流れる嵐の曲、9割ぐらいちゃんと聞いてて、歌えて、踊れるものは踊れて(一時期めっちゃ踊りたくてPVなり音楽番組みておどってました、ダンスもしていたので…)…。
私の人生には間違いなく嵐がたくさんいたのに。
ライブに行けない。
そして最後の最後にありがとうと叫ぶこともできない。
私がライブに行くときは毎回ありがとうのうちわと松潤のうちわだけでした。
いつも伝えたいことはありがとうだったから、行くたびにありがとうとは言っていた。
でも、空間にいけない、ありがとうも言えない。
音楽を聞けばきくほど、レポを見れば見るほど苦しくなる。
良くも悪くも、嵐は私にたくさん夢もくれたけど、現実もくれる存在となりました。
もともと、全ての事柄に関して表面的なことしか理解ができなかったり、深く追い求めることができないというのは大人になるにつれてわかっていました。
何かを極めることができないなって思っていました。
それを突きつけられたなと。
これも乗り越えなければいけないものとして、嵐からもらったのかなと。
自分を直視しろ、変えろというメッセージなのかもと。
でもあまりにつらい。
そして、ここまで後悔したのも人生ではじめてです。
FC続けていれば。
お金がカツカツでも入っていれば…。
私は死にたい気持ちを抱えると同時に、いつ死んでもおかしくないから、後悔しないように自分がしたいことはしてきた人生だったので、わりかし悔やんでいることはないのですが、今回のことだけは死ぬまで忘れられないであろう、大きな後悔でした。
時間が戻せるなら100%FCは継続する。
でも戻せない。
じゃあ、これを教訓に、好きな人を応援しよう…と思っても、私は嵐をこえる好きな人たちがいません。
だから次に活かす?といったらあれですが、後悔を行動に変える方法がわかりません。
考えれば考えるほど死にたい気持ちが増幅しているため、この記事をかいたらいったん後悔を取り返すことを考えるのをやめようとは思っているのですが、辛い。
最近は絵を描いていたりするので、嵐の絵をかこうかなと思っても、上手に書けないかもと思うと気が進まない。
バイオリンに興味があるから、懺悔のつもりでバイオリンをはじめて、たくさん曲を弾こうかなと思ったけど、思ったけど…のまま。
好きなのは好きだった。
それは本当。
でも度合いが低かった。
私の中では、100%好きだったけど、世界で測定すると10、20%ぐらいしか好きでなかった。
ただそれだけ….。
ちなみに、私とはじめて嵐のライブにいった友人は、そこからずっと嵐が好きで、今回のライブも行くことができます。
羨ましいなと本当に思いました。
そして純粋にずっと好きでFCを継続していた彼女を羨ましくも思いました。
私はいいね、いってらっしゃい、終わったら話聞かせてねって言ったけど、笑顔で聞ける自信がないです。
ごめんなさい。
この記事をかくことで、嵐への後悔を一つ体から切り離したい。
ただただその一心でかきました。
どこまでも身勝手でごめんなさい。
でも、やっぱり嵐が好きでした。
宿題くんもめっちゃ見てたよ。今でも覚えてる。
みんな寝る番組とかなんだよ笑、と思ってたよ。
ひみつの嵐ちゃんも見てたよ。
マイガールを聴きながら泣いてたのもおぼえてる。
受験シーズンはサクラ咲ケをきいて頑張ってた。
いろんな曲を踊れるように練習してた。
Love Situation踊れるようになるために、親の部屋でDVD流して踊ってたの思い出した。
Beautiful Worldでスタンドのほぼ最後の列で、ニノが米粒サイズだったのも思い出した。
Popcornは下手のアリーナ。ニノの演奏が一直線先だったのを覚えてる。
物販は寒い中、友達と三時間ぐらい並んでた。制服だったからとってもさむかった。でも楽しかった。
いつもお年玉握りしめて買いに行ってた。
Are you happyのパーカー、今でも着てるよ。海外に行く時に飛行機では必ず使ってます。メガネ拭きも。
嵐の初回限定のCDがやまほどあるよ。嵐だけではないけど、嵐きっかけで事務所ごと好きになって何百枚もCDがあるよ。
そういえば嵐ではじめた買ったCDは、 PIKA★★NCHI DOUBLEです。サビ、踊れます。笑
Japonismはね、アリーナの最前列だったんだ。マスカレードで水を口から出してるしぶきが見えたの今でも覚えてるよ。
目の前何度も通ったけどファンサもらえなくてもんもんとしてた。ごめんね。
でも、嵐のライブにあたって、最前にこれるなんて意味不明なぐらい確率低いし、本当に人生の運使い果たしてた。私はなんて幸せ者なんだと思った。
このライブで最前がわかってからダイエットして、7kg痩せたよ。
そのあと体調崩してリバウンドしたけど、それぐらい頑張れたよ。
今すぐ思い出せないこともたくさんあります。
だって人生嵐だらけだったから。
でも、ライブに行けない。
行けてたら多分こんなに苦しくなかった。そりゃそうだ。
いつか終わってしまうと思っていた嵐が、最後にライブをやってくれるんだ。
あの空間に行けるんだ、ありがとうも言えるんだ。
でも私は行けない。
夢が始まった場所に、最後に行って、自分の人生の一つの区切りをつけることができない。
来月福岡だから、会場には行く予定ですが、心が持つかな。
大体の人が中に入るだろうから、心が耐えられるかわからない。
でも行きます。
嵐の曲もきく。
今更だけど、読めるものは読む。
私が向き合ってこなかったすべてと、向き合えるかぎり向き合う。
中途半端な好きのくせに、一人で熱くなってしまってごめんなさい。
でも、自分なりには大好きでした。
今も大好きです。
未練たらたら、後悔たらたらです。
あ….あと、嵐以外の人のライブにもいったけど、やっぱり一番楽しかったのは嵐でした。
他のライブも楽しいけど、嵐ほどはじめから最後まで楽しくて、嵐以外考えられないライブは他にありません。
あー書いてだいぶすっきりした。
みんなが元気で、最後まで安全に、楽しく過ごせますように。
こんなファンでごめんなさい。
でも好きなのは本当でした。
芯の通った、素晴らしいファンでなくてごめんなさい。
でもほんとにほんとに私の人生の大きな部分を占めていました。
ありがとう。
手紙も送ろうと思ったけど、ありがとう以外を書くとなんだこいつとなりそうだったので、手紙は書かず、このインターネットの海にながすことにしたよ。
読まれることはないだろうけど、もし万が一読んだとしたら、とにかく私は嵐にはありがとうと伝えたい。
ありがとう。元気でいてくれて。
色々あったとは思うのですが、続けてくれてありがとう。
いっぱい曲を送り出してくれてありがとう。
ライブもたくさんしてくれてありがとう。
いつも笑顔を、笑いを提供してくれてありがとう。
美学を貫いてくれてありがとう。
嵐は友達をくれた。
楽しい時間をくれた。
夢をくれた。
自分を知るきっかけをくれた。
人生の大事な部分は全部嵐からもらいました。
ただただありがとう!
最後まで応援させてください。
こんな私でも応援していいですか?ごめんなさい。
本当に本当に大好きだったんです、これでも。
薄っぺらくても。
本当に、ありがとう!
追記 4/16
この記事を書いて、怖くなってすぐ非公開にしたのですが、そこそこアクセスがあったため、また公開することにしました。福岡公演迫ってきましたね。お天気悪そうなのと体調があまりよろしくないので、会場にちゃんと行けるか不安ですが頑張ります。きっとここ数年は後悔で苦しいんだろうなと思っています。早くこの後悔を受け入れられるようになりたい。
そういえば、翔ちゃんがMCでライブにこれない人もいることは知ってますって言ってたとかを見た。コンサート行けなかった人たちを忘れていないでいてくれたことが少しわかっただけでも心がマシになりました。
そして、最終日の配信チケット買ったら銀テープいただけると。すごく嬉しい。ライブに行った人しか手にとることができない宝物。それを送ってくれるの嬉しい。
色々なグッズを買ってきたけど、事情で減らさなくちゃいけなくて、かなり量をしぼっていたから、銀テープとスワロフスキーを最後の自分の嵐との思い出として大切にとっておこうと思います。